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戦争とは差別にもとづく死の強要です

 投稿者:風太  投稿日:2015年12月13日(日)08時28分21秒
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  私はいずれ日本国民は、安倍総理らの提唱する改憲(戦争への道)か、憲法の主旨を守る為の護憲(平和への道)かの選択を迫られると思います。

そしてその時に安倍総理一派に引きずられて、改憲への道をずるずるとなし崩し的に進んでしまえば、敗戦で得た教訓は無意味になります。

あの時に学んだ、戦争がじつは国民の大半にとっては、苦難を強いられるだけのものであるという教訓が無駄になるのです。

国家というものに、自分を一体化させて(全体主義)その一部分になったつもりでも、戦いの場では単なる消耗品に過ぎないのです。

安倍総理らと我々一般国民とはそもそも立場が異なるのです。


戦争とは差別が無ければ成立しない行為です、したがっていくら美辞麗句で誤魔化しても、最後には本性をさらけ出してきます。

しかし多くの場合その現実に気が付いた時はもう遅いということになります。

その時になって戦いを拒んでも、もうそれは叶わないのです。

その事に今一度気づき直し、我々現代に生きる者達は、1945年に国民の多くが感じたであろう無念さに想いを馳せなければなりません。

でなければあの悲劇はなにも生まなかったことになり、戦いで又それに巻き込まれて殺されていった多くの人々に顔向けできません。


日本が平和国家に生まれ変わったのは、日本が始めた戦争に巻き込まれて失われたアジアの多くの人々の命への非戦の誓いからのはずです。

安倍総理らの進める企ては、それを裏切るものであることを、我々は今一度認識しなおす必要があります。

平和主義とは、そこに積極的などという美辞麗句をつけるようなものではなく、平和主義は平和主義なのです。
 

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