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安倍あきえさん(アッピ~さん)、国外へ逃亡? エイプリルフールに書くべきでした(笑い)。

 投稿者:青トマトメール  投稿日:2017年 4月 4日(火)01時03分50秒
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  あきえさんを国会の証人にお呼びしようとの声がますます高まり、

一方で、政権の籠池一家への命を奪わない暗殺テロ攻撃が激しく実行されつつあります。

なんとも奇妙キテレツな現象で御座います。

彼女を証人として呼び出されることを政権はなんとしても避けたい。

何でも正直に喋っちゃうから。

困っているであろう政権は…彼女を国外に長期旅行さらに長期滞在させて、実質亡命させるかもしれない。

どうなったら、次の証人を呼び出すべきだろう。

財務省の責任者とか財務大臣とか。

アベ首相本人を証人喚問は出来ないものなのかなあ?

籠池ご一家は教育勅語を奉じて、園児達に唱えさせて、学園経営暗殺されつつある。

一方で、籠池暗殺犯アベ政権は、この勅語をなんと、閣議決定とか?

この現象、どこがおかしいんでしょうか?

廃棄された教育勅語を再び利用しようとするから、問題が生ずると考えるべきでしょう。

この勅語は、いまさら再び再評価して取り上げるべきものではありません。

内容的にもそれだけの価値は無いのですが、さらにもっと本質的問題があります。

そのことが、解ってないのですよ。

勅語ですから、大した知識人ではない人物の書いた作文ではありますが、形式的には明治天皇の御言葉となっています。

しかし、敗戦で廃棄された。

これについて、昭和天皇は異議を申されなかった。

今上天皇も再び取り上げて下さいとは申されない。

なのに、何故に国民が勝手に取り上げようとするのか?

おかしいではないか。

勅語を取り上げたいのならば、天皇陛下にお伺いをたてるべきであり、その必要がある。

ところが、勝手にイジリ回しているのだ。

これは、憲法改悪も同じだ。

今上天皇にお伺いをたてることもなく、勝手に明治憲法の復活を目指して、

天皇を元首の地位に押し込めようとしている。

そうしたいならば、今上天皇に聞くべきだろう。

「再び国家元首になっていただけますか?陛下の率直なお考えは如何?」と。

陛下は恐らく御応えにならないだろう。

「統治いたしませんので」とお応えだろう。

しかし、「では」と勝手に決めてしまってはいけないのだ。

君達に天皇陛下の地位を勝手に決める権限はない。

このように現在の勅語の地位と天皇の地位を勝手に、しかも何の断りもなく扱い決めようとすることは、

これは不敬にあたるのだ。

戦前の事例のようなでっちあげの不敬でなく、

本質的不敬は自らを進行不能と挫折に追い込むものである。


ちなみに、先に「大した知識人でない人物が書いた」と述べましたが、本当は詳しく書きたいのですが、今回は指摘だけに留めておきますが、

この教育勅語なる文面には、何故か?

重要な事柄が欠落しているのです。

全体に愛と相互信頼を説いているのですが、

それが、夫婦と親子と友人の間だけに限られて説かれています。

そして、愛を社会に向けて放射し、国家の危機には奉仕せよ命をかけても、と説いていますが、

どうしたものか、日常社会での愛と相互信頼と礼儀を説いていないのです。

何故でしょうかねえ?

明治憲法よりも先に出された軍人勅諭では、

「忠節」と「礼儀」を説いています。

軍人勅諭での忠節とは、第一には天皇に対するものとされていますが、天皇の意思を体現するとされる(それは擬制ですが)上官に対するものでもあるのです。

軍隊は単純に国家社会の姿を象徴的に表しています。

では何故、教育勅語では、この忠節と礼儀を説かなかったのでしょうかねえ?

これが無いと、

実社会での上司と部下、そして教育機関での教員と生徒学生の関係が成り立たない事になります。

忠節と礼儀では軍隊ではない場合は不都合なので、

相互信頼と秩序とでもしましょうか。それも愛を基礎とするものであるわけです。

上司は部下を思い遣り、部下は上司を慕って従う。

教師は生徒を愛で導き、生徒は教師を慕って励む。

冗談で綺麗事を書いていると…読まれる皆さんは笑われるかもしれませんねえ。

言いたいことは、教育勅語において、何故、

これが欠落してるのか?ということなのです。

書き漏れた?

そんなこと無いでしょうよねえ。

色々と考えたが、不自然極まりないのです。

書いた人物、井上毅とかではないですか?

もう一人、儒学者が追認者として上げられていますが、

納得出来る合理的理由は見いだせません。

それで、気がついたのですが、

「何か」に似ているではありませんか。

「何か」とは、キリスト教会で説かれる「神の愛」と道徳です。

それに似ているのです。

夫婦の愛、友人それを拡げた朋友への愛、愛の放射拡散、

上司と部下の関係も教師と生徒学生の関係も、上下関係秩序は語らず朋友間として説くのです。

これは、キリスト教の説教をベースにして、神とキリストの地位を天皇に置き換えて、

作文したのではないですかねえ?

それを、何故か儒学者は追認してるのです。

簡便な感じが匂いますねえ。

キリスト教においては、先に社会が存在していて、その上に神の愛の教えを説いたので、社会秩序の在り方については説教的には説かないのです。

西洋文化に少し通じたばかりのハイカラさんが、西洋の篭に尊皇意識を急いで詰め込んだ、

急いで造り上げたもの。寄せ鍋。

そんな出来栄えのものではないかな?

 

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