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いよいよ東條内閣の末期に似てきたアベ内閣。

 投稿者:青トマトメール  投稿日:2017年 6月13日(火)01時39分30秒
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  しばらくの間、業務上の理由により遠方に単身出張、投稿に必要な個人機材を同行させる余裕なし。

やっとようやく帰還して、主張先では問題を解決させてきたのですが、軽い旅行気分も兼ねて、昨今の政治社会情勢を遠くから観察気分で眺めることにして、投稿できない諦め気分に替える事にしてきていました。

そうしたところ、却ってよく見えてくるのでした。

元々がアベ政権の誕生は、死んだ自民党政権がゾンビとして蘇っただけのことであって、

それは、

日本国民の上から下までの階層の全てが「政治能力」を持っていない事から発する国際情勢への対応力欠如による「右往左往」に過ぎないわけであり、日本が政治において失敗をせざるを得ない事の具体的現れに過ぎない現象でした。

アベという彼の妻も含めての茶番キャラクターによるお笑いピエロの嘲笑買いにより、

日本の戦後保守自民党主導政治は終わるのです。

日本国民は、お上任せの姿勢により、自国の政治権力から、自らが託したムシの良い期待を裏切られるのです。

自分が何も努力も苦労もせずにサービスだけを国から貰おうと考えるのは、

それは、乞食根性だろうが!

少しは物乞いの稚拙な芸くらい披露すればまだ可愛いいが、その能力すら持っていない。

それで、とっくの昔に政治権力は泥棒一味に奪われていたのだ。

やっと、少しは知ったか。

アベより悪いのは国民自身なんだが、まだそこまでは判らんだろうな。

日本が国民の政治能力欠如にも係らず、社会と貧弱な政治が曲りなりに消さる事無く存続してきている理由の「不思議」は、

大きな孤島により、鎌倉幕府成立の中世以来、下部社会構造は安定的に営まれて来て揺らぐことがなく、支配性構造部分だけが、その失政により担当者が交代し、下部社会構造は努力することなく、その恩恵を受けてきた事による。

これが、日本の変化と変革を疎ましく思い嫌う保守性の本体的構造であろう。

要するに下部社会構造だけが安定しているのである。

さて、アベ政権は、その無能性により、失政の繰り返しであり、いよいよ、

政治権力内部から、自分達全体の崩壊を懸念し恐怖する動きが発生してきているようだ。

まあ、将来の展望を含めて方針までも確立させて行こうとの動きは内部からは無理であろうが、

泥船脱出の動きは加速するだろう。

東條内閣の崩壊過程をかなりリアルに記述したブログから、東條内閣の各地での日本軍敗戦とアベ内閣の日本経済社会崩壊解体の有様を対比して読めば、

二つの内閣の崩壊過程の姿は似たものとして、現段階を最終段階の始まりと捉える事が出来るだろう。

http://www.geocities.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/41-Tohzyou.htm
第四十一代:東條英機内閣
(任:1941/昭和十六.10.18-1944/昭和十九.7.22)

(転載)

戦局の悪化と言論統制、「政府と統帥部の一致」

 戦局は、ミッドウェー海戦の敗北を境に急転、苦境に追い込まれた。
 米軍がガダルカナル島へ上陸し、南洋の諸島では激烈な戦闘が行われた。戦局苦境のまま、昭和17年は暮れ、翼18年二月にはガダルカナル島からの「転進」、四月には南方戦線督励のためにラバウルに旗艦を移していた連合艦隊司令長官・山本五十六大将がブーゲンビル島上空で米航空隊の迎撃にあって戦死、その後任に古賀峯一大将が着任したが、その磊落な人柄で人気のあった山本大将の戦死は痛手であった。五月にはアッツ島玉砕。戦線はいよいよ危機的な状況を伝えた。

 同時に、日本国内では強力な言論統制が敷かれるようになった。
 新聞には「ミッドウェー沖に大海戦、アリューシャン列島猛攻」などの勇壮な文字が踊り、政府に協力的でなかったり、挙国一致に冷笑的である言論は容赦なく検閲にかかり、はねられた。中央公論連載の谷崎潤一郎の「細雪」は「自粛」され、岸田國士の戯曲「かえらじと」が皇軍侮蔑のかどで発禁となった。
 特高警察と憲兵も暗躍し、東條政府打倒のために重臣グループなどと接触を続けた中野正剛をそのシンパの「勤王まことむすび」なる右翼一派とともに検挙し、釈放の後に中野を割腹に追い込んだのは憲兵であったし、「横浜事件」で温泉への慰安旅行を共産党再建準備会議だとして踏み込み、自白を得るために凄惨な拷問も行われた。このように、国民は耳目を覆われていたのである。

 さて、政府の中では、明治憲法に定められた機構の分裂状態では戦争完遂は難しいという考え方が支配的となり、ついに東條首相は陸相に加えて参謀総長を兼任し、嶋田繁太郎海相も軍令部総長を兼ねるにいたった。しかし、この「統帥の独立性」を失わせる措置は違憲であるとの評価が高まり、「東條幕府」との批判を、影ながら発生させた。不満は高まり、以前から東條内閣の方向性に疑問を持っていた近衛文麿元首相などの重臣グループや嶋田繁太郎が東條の副官のような態度をとっているのに不満であった海軍、そして議会の一部が策動し、東條内閣を倒閣に追い込もうとした。
 しかし、東條は宮中の支持を受けていた。とりわけ、木戸内大臣は重臣会議で東條を推薦した当事者であったから、東條支持の意向は強いものがある。天皇の意志を「東條不信任」に追い込むためには、木戸を抱き込む必要が生じてくる。
 重臣グループの蠢動がはじまる。

(以上転載)

東條英機首相とアベ首相では人物としては比べるに値しないのであるが、これが戦後政治の現実だ。

アベ政権下の自民党閣僚達はいずれもがアベとは団栗の背比べ程度の人物達であるから、アベに代わって政権担当をしようとの気概は無いだろう。

烏合の衆に過ぎないのだ。

空しく時を過ぎさせるのみだ。

戦時下において、戦争に駆り出されて苦労する国民の知らないところで、東條内閣解体の動きは盛んに起きていた。

生活破壊されて傷つき、自殺者頻発の国民の知らぬ存ぜぬ処で、

今後、アベ政権の裏側で似た動きが活発化してゆくものと思われる。
 

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