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「西郷どん」、「がっかりな実像」 。

 投稿者:青トマトメール  投稿日:2018年 1月11日(木)22時15分22秒
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  https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%EF%BD%A2%E8%A5%BF%E9%83%B7%E3%81%A9%E3%82%93%EF%BD%A3%E3%81%AF%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AB%E7%AB%8B%E6%B4%BE%E3%81%AA%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-2018%E5%B9%B4nhk%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E4%B8%BB%E4%BA%BA%E5%85%AC%E3%81%AE%EF%BD%A2%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AA%E5%AE%9F%E5%83%8F%EF%BD%A3/ar-BBHXd9n?ocid=spartanntp#page=2
「西郷どん」は本当に立派な人物だったのか 2018年NHK大河主人公の「がっかりな実像」

東洋経済オンライン
武田 鏡村
4日前

(転載)

 討幕のシンボルとされる「錦の御旗」は、岩倉具視の側近となる国学者の玉松操(たままつみさお)がでっち上げた草案だが、その材料となる西陣織を買いにやらされたのが、このお勇である。
 大久保はこれを長州の品川弥二郎に渡して、「錦の御旗」を作らせた。これが突如として鳥羽・伏見の戦いの最中に翻ったのである。
 「討幕の密勅」といい、「錦の御旗」といい、すでに大久保や西郷は、「偽造」と「欺瞞」によって、何が何でも討幕を果たそうとしていたのである。
 ちなみに玉松操は「討幕の密勅」にも関与していたが、純粋な「尊皇攘夷派」で、明治新政府の開国方針を約束違反として批判、新政府の招きを拒絶している。
残虐な策謀家としての側面
 幕末の日本は開国したものの、いかに外国勢力から自立するかが急務であった。それには国内戦争をせずに外国からの介入を防ぐことである。幕府はもちろん、勝海舟や坂本龍馬も、そのことに腐心していた。
 ところが薩摩も長州も、国内の権力闘争に目を向けた。とくに西郷は「自藩意識」だけで行動していた。
 西郷は、勝海舟から、幕府を解体して雄藩連合で平和裏に日本をまとめる必要がある、といわれて、はじめて日本を意識するようになったというが、それでも「自藩意識」を取り去ることができない。
 西郷にとって薩摩藩は、幕府に代わる権力主体と考え続けたのである。そのためには、さまざまな謀略や恐喝、暴動計画を実行する。
 平和的な政権移行として「大政奉還」が行われても、西郷は武力による政権奪取を放棄しなかった。国内戦争への道を追求したのである。
 徳川慶喜の「大政奉還」によって新国家への道が開けたと喜ぶ坂本龍馬の暗殺に加担したのは、どうも西郷や大久保であったようである(参考:明治維新より輝かしい「大政奉還」という偉業)。
 新体制を決める小御所(こごしょ)会議でも、西郷は「短刀一本あればすむことだ」と反対派を恫喝し、幕府が到底のめない処置を決定させている。冷酷な武闘主義者ぶりを見せたのである。
 「大政奉還」後、京都を去った幕府軍を挑発することを目的として、江戸を騒擾化するために薩摩藩士らを送り込んだのも西郷である。

(以上転載)

いやあ、すみませんねえ。明治開国を信ずる人達に冷や水が浴びせられる昨今で御座いましてねえ。

徳川幕府の幕末に、実は日本は開国していたんですよ、既に。

ところが、偏狭な国粋主義者達はそれが気に食わなかった。

何となく、アベウヨ一派の戦前回帰志向に似ていますよね。

出来た体制が、明治憲法体制で、これは、

鎌倉幕府が、よりひどい室町幕府に替わったようなもの。

だって、室町幕府はその不徳により日本国内戦の戦国時代を招いたのですから、鎌倉幕府よりひどいですよ。

明治体制は、官僚と政商の幕府体制と言えるでしょう。民主的議会制なんて育つ土壌が消されていた。

憲法発布前に、革命を裏切られた革命主体の不平士族達が弾圧され、西郷も不徳の行いによりかつての討幕仲間達から潰されてしまったが、そんなことは主なものじゃない、自由民権運動を弾圧し、自主憲法制定運動を弾圧した。

従って、民主的土壌を取り払ったのだから、民主的議会制は育たないのは当たり前だろう。

かくして、近代日本はブレーキが利かなくなった。

秀吉的な対外膨張に壊れたブレーキ、行く先、脱線転覆。これが、昭和20年の敗戦。

秀吉政権の倒れた理由は、彼の不徳体質が引き起こした朝鮮出兵による明支配野望であり、これではイエズス会を先頭にしての旧教国の侵略から東アジアを防衛することは出来ない。

幸いにして新教国家による覇権交代が起きたから救われたのだった。

その代わりに、豊臣政権は維持出来なくなった。

その豊臣政権の在り方に、明治体制近代日本の歩みは重なるのです。

戦後自民党政権は、秀吉亡き後の遺臣達による政権運営のようなものと言える。

自動崩壊するだろう。
 

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