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取調べ(事情聴取)から逮捕まで=特捜部とメディアの「共演」の真実

 投稿者:バード  投稿日:2010年 1月26日(火)21時21分26秒
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  江副浩正『リクルート事件・江副浩正の真実』(中央公論新社)からの引用です。

取調べから逮捕までの動きや、マスコミと検察の関係がよく分かります。
長くなりましたが、われわれ未経験者には、これくらい情報がないと、「取調べ」の真実が実感として理解できないでしょう。
現在行なわれている小沢疑惑捜査、報道を考えるのに、大変参考になります。

(引用ここから)

社員の事情聴取が始まっておよそ1ヵ月後の昭和63年12月20日、私の取調べが始まった。
特捜からリクルートの法務部に、「マスコミをさけるため、そちらの指定の場所へ出向く」と連絡が入った。弁護人で元検察官の牧義行弁護士が取調検事を検察庁へ迎えに出向き、リクルートグループのホテル「芝グランドプラザ」で取調べを受けた。容疑は「証券取引法違反」だった。
担当は特捜部副部長の宗像(むなかた)紀夫検事。グレーのスーツに厚い眼鏡で中肉中背、実直な公僕といった風貌の人であった。宗像検事は福島県知事を現職知事として初めて起訴、立件したことで名声をあげた検事である。
検事は部屋に入ると「どこか隠しマイクはないでしょうね」と周囲を見回したあと着席した。
「主任検事の宗像です。体調は大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「あなたは本件のキーマンです。一連の報道で、いろいろ問題があるように伝えられていますが、率直なところ、あなたはどこが問題になると思っていますか」
丁寧な言い方だった。だが、どこが問題なのか教えてほしいのは私の方だ。
「分かりません」
「弁護士さんは何が事件になると心配されていますか。それを話してくれませんかね」
「何が事件にされるのか分からないと言われています」
捜査弁護の主任、日野久三郎弁護士も「証取法で逮捕はないでしょう」と、何が問題になるのかを計りかねていた。
「ところで、あなたは中曽根前総理とは差しで会ったことがありますか」
「あります」
「ほう、そうですか」
宗像検事は笑顔になった。
「その件は、あとで改めて聞きます。なぜ大勢の人に株譲渡をしたのですか。親しさもあるでしょうが、利害関係もあるでしょう」
「50歳にもなれば、仕事の関係と友人とを区別するのは難しくなります。経営者の集まりで知り合って、友人関係になることもあります」
「それはよく分かりますよ。利害関係がなければいいんですよ。かりにあなたが私と学生時代からの親しい関係で、私に譲渡したのならば問題はない。しかしそうでもない人もいるでしょう」
「株譲受人と特段の利害関係はありません」
「政治家は違うでしょう? 見返りを期待しない政治献金はないと、どの新聞も書いています」
「政治家を応援しようという気持ちからで、見返りを期待したものではありません」
「コスモスの株式は、あなたの株を譲渡したものでしょう」
「違います。親しい友人の会社に3年以上前から持ってもらっていたものを譲受人に譲渡してもらいました。すべての人と売買約定書を交わし、有価証券取引税も納めています」
およそこんなやりとりで、その日の取調べは終わった。
部屋を出る前、宗像検事は言った。
「次回は調書をこちらで作ってきます。それに署名してもらうだけでいいですよ」
宗像検事が帰って客室のテレビをつけると、テレビ東京が「本日、東京地検特捜部は江副前会長を取り調べた模様」と報道していた。私はその速さに驚き、特捜はやはりメディアと繋がっている、と確信した。
宗像検事の取調べについて読売(12月29日)が詳細に報道している。その一部を紹介する。

「江副氏の事情聴取は、今回の捜査で主任検事を努める宗像紀夫・特捜部副部長が自ら行ったが、特捜部の副部長が調べに乗り出すのはきわめて異例。そこに、特捜部の並々ならぬ意気込みがのぞく。
江副氏は、問題の株ばらまき工作で紛れもない中心人物。江副氏にすべてを語らせない限り、リクルート疑惑の全容解明はありえない、と多くの捜査関係者は指摘する。しかし、表面はソフトな語り口ながら、こうと決めたら口を開かない江副氏のしぶとさは、株譲渡を受けた民間人の氏名公表を詰め寄られても、あくまで応じなかった国会証言で実証済み。
一方、宗像検事は、福島県知事汚職やダグラス・グラマン事件で敏腕をふるったことで知られる。特捜部は、最重要人物・江副氏の本格聴取に当たって、最高の“切り札”を繰り出した」

一日おいて再び取調べがあった。宗像検事は40~50枚ほどの証取法に関する調書を書いて持って来ていた。読むと、私が5社から株を買い戻して譲受人に売却したと書かれている。
私は、コスモスの株式公開の幹事会社である大和証券の山中一郎専務から「公開直前になると、創業者は自分の株を知人や友人に譲りたくなるものです。ですが、それは禁じられていますのでやめてください」と言われていた。案の定、公開近くになってコスモスの役員や幹部、友人、外部の有力者にコスモス株を持ってもらいたくなった。幹部社員も株を持てば業績と株価を上げるよう頑張るだろう。有力者が株主になればコスモスの社格も上がる。そんな気持ちを抱くようになった。
だが、山中専務に釘を刺されていて、私のコスモス株を譲渡するわけにはいかない。
そこで、公開1年10カ月前の昭和59年12月の増資のとき、一株2500円でコスモスの増資を受けてもらった会社のうち、親しい友人が経営する会社5社にお願いして、コスモスの幹部社員や外部の有力者に一株3500円で株式を譲ってもらった。それらの会社から譲受人への譲渡だから、私は仲介者にすぎない。5社と譲受人との間で売買約定書が結ばれ、有価証券取引税も納付している。資金が私の口座を通っているわけでもない。そのことを話し「これは事実に反していますので署名できません」と私が署名を拒否すると、宗像検事はそれまでとは一転、誤記を強めた。
「そうですか。せっかく作った調書に署名してもらえないのは残念ですね。検察庁に来てもらうとマスコミに囲まれて気の毒だと思い、リクルートの施設に来ているのに。そういう態度だと、本庁に来てもらうことになるよ。それでもいいの」
報道陣のカメラに囲まれて検察庁に入るのは嫌だな、と思った。
だが、それは脅しだったようで、宗像検事は「また来ますよ」と言って帰って行った。(p.81-85)

翌日、三度目の取調べ。
(略)
宗像検事はじっと私を見つめて言った。
「新聞は5社からの還流と書いているでしょう。還流5社とたびたび報道されていますよ。私もあなたが5社から株式を買い戻して譲渡したものだと思っています」
「私の友人がオーナーの5社に頼んで、譲受人に売ってもらったものです。私は斡旋しただけで、私が買って売ったのではありません。売買締約所もすべて当事者間で交わされています」
堂々巡りのやり取りが続いた後、宗像検事は不機嫌そうに言った。
「なかなか分かってもらえませんでしたね。今日は早めに終わりにしましょう」
「体は大丈夫です。もっと続けていただけませんか」
「そんなことをいわれたのは、検事生活20年で初めてですよ」
宗像検事は苦笑して帰って行った。

取調べは続き、株の問題について宗像検事は繰り返し追及してきた。
宗像検事は株式の売買に関与したことがなかったのだろう。5社からの買い戻しか否かの問題と株式の値上がり確実性の問題とに関し、私たちの会話は平行線を辿っていた。
(略)
株価は動くもので、証券市場の動向によって公開日の初音が払い込み価格を大幅に上回ることもあれば、下回るケースもある。
(略)
FF(ファーストファイナンス)を私の個人会社と思い、小林を私の指示で私のお金の出し入れをしている人物と思っていたようで、宗像検事は拍子抜けした様子だった。
その後取り調べは再び堂々巡りになり、宗像検事も次第に不機嫌な表情になってきた。
「もう少しこちらの質問にまともに答えてください」
「まともにお答えていますが」
宗像検事はため息混じりに言った。
「今日は気分がよくないようですね。終わりにしましょう」
「続けてもらえませんでしょうか」
「また明日来ることにしますよ」
苦りきった表情で答え、宗像検事は帰って行った。
(略)
私の取調べが始まって、報道はますますエスカレートしていった。
テレビのニュース番組では、天皇陛下のご容体について消火器外科の権威である半蔵門病院の三浦先生がコメントしたあとに、「次はリクルート関連のニュースです」と、病院の映像が流されることが毎日のように続いていた。
新聞各紙が年末に発表するその年の十大ニュースでは、昭和天皇ご重体のニュースにリクルート報道が並んでいた。

昭和64年の元日、朝日朝刊を見て、私は驚いた。
一面トップに「月内にも強制捜査 株譲渡で証取法違反など」と、ひときわ大きな横見出し。続いて「リクルート疑惑核心へ」という縦見出しが目に飛び込んできたからだ。
本文を要約すれば、「足かけ二年の捜査は疑惑の核心に向けていよいよ正念場を迎える。東京地検特捜部は延べ500人を超す関係者から事情聴取を行い、疑惑の輪郭をほぼ描き出すところまできた。特捜部は今月中にも関係者の逮捕を含む強制捜査に着手するものとみられる」との記事だが、肝心の疑惑が何であるのかは、本文中に記述がない。(p.86-91)
(略)

1月6日夜、半蔵門病院近くのコスモスのマンションで、位田尚隆社長、奥住邦夫・河野栄子両専務と会った。リクルートの幹部と話すのは、私の退任後初めてである。
位田社長は連日連夜、土日も検察庁から呼び出しを受けていたが、事情聴取が夜中1時頃まで続くため藤沢の自宅に帰れず、ホテル住まいを余儀なくされていた。その上、朝は9時過ぎには出勤していたため平均4時間ほどしか睡眠時間が取れず、疲労で仕事もままならない様子だった。
河野専務は言った。
「私にも検察庁から「事情聴取をしたいので出頭してほしい」と電話がきますが、行っていると仕事にならないのでお断りしています。リクルートの売上高は期初の計画どおりで、業績のほうは心配ありません。取引先の担当の方から、『頑張りなさいよ』と声をかけていただきます」
また、奥住専務も「リクルートもコスモスも次の三月決算は増収増益になることが確実です。三和銀行に幹事になってもらい、主要行で話し合いが行われ、主要な取引銀行はこれまでどおり融資すると言ってくださっています」と話してくれた。
連日のリクルート批判報道にもかかわらず、「業績が伸びている」との報告を聞き、社員が一丸となって力を発揮してくれていることを知って、私は胸が熱くなった。そして、「ありがとう。迷惑をかけて申し訳ない」と、三人に頭を下げた。30分ほどの短い話し合いだった。

「あなたは、NTTを純粋な民間企業だと思っていたでしょう。JRやJTの職員は純粋な民間人ですが、NTTの職員は準公務員なんですよ。リクルートとNTTとは取引がある。コスモス株の譲渡先が取引関係先のNTTの人だとだめですよ」
ある日の取調べで、宗像検事はそう言った。確かに私は、「民営化されたNTT」と新聞に報道されていたため、NTTを民間会社だと思っていた。
「村田(幸蔵)さんへの株譲渡は、眞藤(恒)さんを念頭に置いた株譲渡でしょう」
「ええ、そうです」
「村田さんとどのような話をしたのですか」
「『眞藤さんとご相談の上、コスモス株をご購入いただければ……』と言いました」
「そうでしょう。そのことをこれから調書にしますよ」
宗像検事はそう言って、村田さんへのコスモス株譲渡は眞藤さんを念頭においたものであるとの調書を作成し、署名を求めてきた。私が調書に署名すると宗像検事は「よし! これでいい」と、満足げであった。
「詳しいことはあとで担当検事に調べさせる。ところで、株譲受人の中で、誰が譲渡話を持ちかけたのか分からない人がいるんです。加藤(孝)労働次官に話をしたのはあなたではないですか」
「私は関与していません。新聞報道で知って驚きました」
「高石(邦男)文部次官への株譲渡が1万株で、加藤時間が3000株と違うのはなぜですか」
「分かりません。加藤次官への株譲渡は、私は知りませんでした」
(略)
「私は知りません。本当のことを、私も知りたいのです」
「リクルートの創始者として、大局的見地から立派に答えてほしい」
宗像検事の語調が厳しくなり、「知りません」と言い続ける私との間に気まずい空気が漂った。
結局この日は、「加藤氏への株の譲渡に関しては、私はまったく関与しておりません。私はすべての株譲渡に関係しているわけではありません。たとえば、池田勝也、田中慶秋(代議士)、浦和市長秘書、横浜市議です。加藤氏もこのような人です」という趣旨の調書を宗像検事が作成し、私はこれに署名・捺印した。
(略)
1月31日、宗像検事から「これから先の取調べは別の検事が担当する」と告げられた。取調べの場所は豊島区検察t

検察庁に移った。
交代した神垣清水(かみがきせいすい)検事は胸板が厚く、太い声。押し出しがいい。アメリカ映画に出てくる検事のような風貌で、あたりを払う貫禄があった。
「検事の神垣です。僕はあなたをとても立派な人だと思っています。僕が抱いているあなたのイメージを壊さないようにお願いします」
(略)
「……大きな事件の主犯の取調検事になって、巨悪を明らかにできれば検事冥利につきる。僕は宗像検事にあなたを担当させてくださいと頼んだんだよ。政治家の名前が出たので、特捜はこの事件に注目して内偵していた」
「どのような内偵をされたんですか」
「新聞、週刊誌、テレビなどを見ていた。国会証人喚問のときは、君を挙げられるかどうか、特捜は全員でテレビを見ていたんだよ」
メディアが捜査官、立件するのは特捜、特捜は政治家の汚職に関心を抱くと私は理解した。
「今日はまず、週刊誌に書かれていることから聞いていく」
検事は、虚実ないまぜて様々に書かれていた私の女性関係を、週刊誌の記事をもとに尋ね始めた。検事は女性誌も含め週刊誌を丹念に読んでいた。(p.89-97)

「前回は女性関係を聞いたけれど、不愉快じゃなかったですか」
次の取調べでは、神垣検事は一転して下手に出てきた。
この日も私は、検事が尋ねる容疑は否認し、繰り返しになると黙秘をした。
(略)
検事は突然机を叩き、大声を上げた。
「特捜の捜査がどんなものか見せてやる! 捜査を長引かせているのはおまえだ!」
だがその後も、私は検事の質問に否認・黙秘を通していた。株譲渡に賄賂の認識があったという内容の調書に、「ペンを取れ、署名しろ!」と言われたが、断り続けた。すると、「バカヤロー! 検察官に対しなんたる態度だ。検察官をバカにするのもいいかげんにしろ! おまえの態度はあまりにも自分本位で傲慢だ!」と激しい剣幕で怒鳴られた。
「実に不愉快だ。これまで君に行為をもっていたが、憎しみに変わった。憎しみが倍加した。なぜ素直に認め、調書に署名しないんだ!」
私は罪になるようなことはしていません、と言いたかった。が、黙っていた。
検事はさらに声高になっていく。逆に私は冷静になっていった。
具体的な質問事項が書かれ、その問のすべてに「黙して答えず」と記された“問答調書”に署名を求められた。「署名はできません」と答えると、検事は「よし、分かった。調書を録取して読み聞かせ、書名捺印を求めたところ、拒否をした。こう書いて裁判所に送る!」と、大声で怒鳴った。
「実に不愉快だ。書名拒否の調書は裁判で不利になるぞ! 今日はもう調べを止める。帰れ!」
私は一礼して取調室を出た。(p.100-101)

前回の取調べから二日後の2月3日のこと。神垣検事は、取調室に入ってくるなり言った。
「主任の取った調書に『村田への株譲渡は眞藤(引用者注:元NTT社長)を念頭においたもの』とあるけれど、趣旨が書かれていないとヘッドクォーターに叱られた。今日は趣旨を入れた調書を取る。譲渡の目的は、よろしく取り計らってもらうためだろう」
私は「そうではありません」と繰り返し否定した。執拗に追及されたが、黙秘した。検事は苛立ちを押さえ切れぬ様子で「検事は独任官庁だ。俺が逮捕しようと思えばいますぐできる。そのような態度を取っていると逮捕するぞ!」と、取調室の窓ガラスが震えるほどの大声で怒鳴った。
この頃の私はどうせ逮捕されるなら早くしてほしいと思っていたので、「逮捕してください!」と言いたかったが、黙っていた。
(略)

午後の取調べで検事は言った。
「あなたは弁護士ではなくて、尊敬する人から『何もしゃべるな』と言われた。それであなたが黙秘を続けていると知って、僕は嬉しい。そのように助言した人は誰ですか」
「それは申し上げられません」
「造船疑獄で逮捕された人は70人ほどいるが、まだ生存している人は6~7人。その人は藤沢に住んでいる人ですか。それとも厨子に住んでいる人ですか」
中山(素平)さんのお住まいは厨子だったが、私は絶対に言わないつもりだった。
「申し上げられません。話せば男がすたります」
「僕はあなたに興味がありました。今の話を聞いて、あなたは計算ずくで動く人ではない、立派な人だと思いましたよ」
検事は続けて、小声で打ち明け話をするようにゆっくりと言った。
「たしかに、しゃべらないことで男が上がることはある。『誠備』の加藤アキラもそうだったらしい。2年勾留されて男を上げたようだ。だけど加藤は否認していたため長期勾留されたよ」
「たとえ長期勾留されても、言えません」
「そうは言っても、勾留所はきわめて劣悪な環境で、最低限の健康を維持するだけのところだよ。勾留所に長くいるのはつらいよ。刑務所よりひどいところだからね」
私は返事をしなかった。検事はチラリと時計を見て言った。
「まぁ、今日はこの程度でやめよう」
検事は取調室を出るように顎で私を促した。わたしは軽く会釈して外に出た。

その後も、検事と私の関係は日を追って険悪になっていった。
検事は再び“問答調書”を作り、「ペンを取れ! 署名しろ!」と怒鳴ったが、私は応じなかった。
「そうか。署名しないなら、検察官が署名を求めたが被疑者は応じなかった、と書いて裁判所に送る。こういう調書を何通も裁判所に送ると、裁判で最終的には君が不利になるぞ!」
大声で恫喝する恰幅のよい精悍な検事。黙して答えない胃弱で痩せている私。じっと獲物を見つめる狼と、身を縮めて逃れようと怯える子羊のような関係だった。

平成元年2月13日、午前中の取調べが終わり、昼休みに豊島区検の近くの店でラーメンを食べて戻ったら、神垣検事に「これから予定はあるのか」と聞かれた。
私は、この日は逮捕されないだろうと思っていた。翌日、川崎市議会の百条委員会に出頭することになっていたからである。
だが、いつになく慌(あわただ)しい検事の動きから、私は自身の逮捕が間近に迫っていることを悟った。検事が何度も席をはずす。本庁と連絡をとっているようだった。
百条委員会で、私が新聞で報道されている内容について質問を受け、それを否定する証言をし、それが新聞やテレビに報道されると、これまでの報道の流れが止まるかもしれない、その前に逮捕した方がいい、と(地検、高検、最高検の)合同会議が判断したのだろう。百条委員会がなければ私の逮捕はさらに遅くなったと思う。
リクルートの役員や社員やNTTなどの関係者から検察のストーリーに沿った調書を取ることにもっと時間をかけたい、という思惑があったと推測した。

3時過ぎ、検事から「逮捕する」と告げられた。
「この電話で、予約している歯医者をキャンセルしていいですか」と尋ねると、「逮捕後の電話はダメだ」と一喝されたが、そのあと「医者か。それならいいよ」と言われた。
最初の取調べから55日目の逮捕だった。(p.99-105)

車が拘置所に近づいたところで、検事が言った。
「ここで君に手錠をかける。これから大勢のカメラマンが君を撮る。手錠がカメラに映らないように、手を下げて両足の間にはさんでおいた方がいい。門を入るときにどういう姿勢をとるかは君の自由だが、君のような立場の人は、正面を向いて胸を張って映される方がいいだろう」
拘置所の入口手前10メートルほどのところで、車は歩く早さにスピードを落とした。正面には、カメラの放列があった。
「上を見てみろ。君の逮捕を撮るためにヘリコプターが飛んでいるぞ」
検事の言葉に見上げると、上空にはヘリコプターが数機旋回している。「特捜はメディアをフルに使っている」と私は思った。
門の前で車が止まった。大勢のカメラマンが待ち受けていて、車のボンネットに身を乗り出してフラッシュをたいた。激しい閃光が目に刺さるように眩しかったが、私は瞬きをせずに正面を見据えていた。撮影が終わり、車は東京拘置所の門をゆっくりと通過した。
「これは“見せしめ”だ。私は被疑者に過ぎない。人権侵害ではないか」
私は憤りを感じた。

保釈後に、朝日の縮刷版を見た。逮捕された翌日の朝刊には、一面トップに白抜き横見出しで、「リ社前会長・江副を逮捕」、縦見出しは「株譲渡、贈賄と断定」とある。
その左の見出しは「竹下政権、一段と苦境に」。車中の私と検事の写真に「東京拘置所に入る前リクルート会長・江副浩正=13日午後5時47分、東京・小菅で」のキャプションがある。
午後5時47分は、ヘリコプターの空撮にぎりぎりの時間だった。
『AERA』の表紙も拘置所に入る私の写真が飾っていた。タイトルは「江副リクルートの犯罪」。紙面には私についての疑惑の数々が書かれていた。
テレビのニュースでは逮捕時の映像が各局で繰り返し放映された。
新聞や各テレビ局でも、私の呼称が「江副前会長」から「江副」に変わって、見る人に有罪確定と思わせる報道だったことを保釈後に知った。(p.106-107)

(引用ここまで)

「私はその速さに驚き、特捜はやはりメディアと繋がっている、と確信した。」
「メディアが捜査官、立件するのは特捜、特捜は政治家の汚職に関心を抱くと私は理解した。」
の言葉が印象的です。

マスコミが捜査方針を出す、特捜はそれの証拠を挙げること、それに応じた調書を取ることが仕事であると、江副氏は感じたのです。私もそういう場合もあるのではないかと感じているのです。だからこの点江副氏と考えが一致します。

また、特捜は政治家しか関心がない、高級官僚(財務官僚や最高裁官僚など)には関心がないのである。これは結構重要な視点である。

拘置所内の取り調べ、再逮捕、再々逮捕などもさらにすごい。人権蹂躙。「推定無罪」など、かけらもない。ただし、餌(食事)だけは良いそうである。

江副氏は、非常に頭がいい人だ。

現代史の証言として内容満載。植草一秀『知られざる真実』、副島・植草『売国者たちの末路』と同様、ベストセラー間違いなしである。
 

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