新着順:110/9904 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

脳の中、詰まりが薄し、国臣とシンゾ~+アキエ。

 投稿者:青トマトメール  投稿日:2018年 9月 4日(火)03時06分51秒
  通報
  http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1001861/1026314/122922909

遂に植草先生も我慢ならず、シンゾ~の出鱈目な詩引用を批判されたのだが、

この平野国臣の詩なのだが、国臣という人物をよく表しているのではないか。

シンゾ~が自分で選んだものなのか? 又は誰か近くに侍る者が勧めたものなのか? それは判らないのだが、

普通の判断力を備えた人物であれば、

桜島の噴煙を「薄い」と表現し、しかも、

自分の志(ココロザシ)と比較して、「おい、桜島よ、お前の方が俺より低いぞ」と言っているのであれば、

それは薩摩の人物の作品とは思えない…と気が付くであろう。

薩摩の人物であれば、桜島を貶すことは有り得ない。しかも、自分と比較して、自分よりも桜島が低いとは考えないのだ。有り得ない。

では? この作品を書いたのは何処のどいつだ? と考えて調べてみれば、

国臣は薩摩の人物ではなく、薩摩へのハライセに桜島を薩摩藩と見立てて、この酷い出来栄えの作品を垂れたのだ、と解るだろう。

この作品を薩摩つまりは鹿児島県に向けて放つ事は、全く出鱈目のゴロツキ行為なのである。

呆れて物が言えん有り様なのだ。このアベの行いは。

それにしても、平野国臣のこの詩は…御粗末であり、この人物の軽薄性をよく表している。

他の藩であれ、その土地の誇りの山を貶すとは…正常な常識を備えた日本人では有り得ないことなのだ。

自然を畏怖し、感謝し、讃えるのが日本人の心の美点である。

この国臣という人物は、傲慢であり、自分が山より偉くて偉大なのだと考えている。

これが如何に軽薄で思い上がりであるかについては、こう例えれば、よくわかるだろう。

日本人の殆どが程度の差はあっても、富士山を誇りに思い讃えている。

私は理性的傾向が強いので、富士山への思い入れは薄い方だが、それでも、この存在を重く受け止めている。

ある人物がこのように言ったら、日本人の大多数は怒るだろう。

「おい、フジヤマ、お前は随分と高いようだが、俺の愛国心の方が、お前より遥かに高くて天に近いんだぜ」

これを聞いたら、「こいつ、誇大妄想狂で危ない奴だな」。

そう思うだろう。

日本人は、自分を自然よりも上とは考えない。実は外国人もそうなのではあるが、日本人は、自然に慣れ親しみながら自然を尊敬して讃えている。

間違っても、自分を自然よりも上とは考えない。

しかし、国臣はこのような詩を造ったのであるから、軽薄で危ない人物であったと考えられる。

最後には明治新政府に裏切られて自らが処分(斬首)されてしまった。

ところで、アベだが、この国臣の桜島を自分より低く見る視点に対して疑問を抱かなかったようだ。

これは、アベが無神経で国臣のこの詩を当然のように受け入れていることを表していると考えられる。

無教養といったレベルの問題ではないだろう。

富士山よりも自分の志は高く、自分は天皇よりも強力で強い立場に在る。

と無邪気に考えて思い上がっているのではないか?…それに遠くない心情に居るのではないか?

無知と身の程知らずは…身の破滅から逃れられない。

シンゾ~は国臣の最後の姿までには関心が及ばなかったのだろう。
 

新着順:110/9904 《前のページ | 次のページ》
/9904