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「売国五人男」の口上(Ⅰ)〔副題:自民党政治の本質①〕

 投稿者:渡邉良明メール  投稿日:2010年 7月 5日(月)13時32分4秒
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   かつて、江戸の世に、「白波五人男」有り。その首領の名は、日本駄右衛門(にっぽんだえもん)―。して、その仲間とは、弁天小僧菊之助、忠信(ただのぶ)利平、赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)、南郷力丸の面々なり。
 さて、それより下りし昭和、平成の御世に、これまた、「売国五人男」登場せり。それらは、「昭和の妖怪」岸信介(のぶすけ)、佐藤栄作、「平成の妖怪」中曽根康弘、それに、小泉純一郎と麻生太郎の面々なり。
 どれもこれも、箸にも棒にも掛からぬ、名うての「売国奴」揃いたり。さて、その口上を、とくとお聴きあれ。

≪問われて名乗るもおこがましいが、われらは、”日本”を売りたる「売国五人男」―。
 さて、その筆頭のこのオレ様の生まれは、山口県山口市―。して、その本籍は、知る人ぞ知る山口県熊毛郡田布施(たぶせ)町。早い話が、このオレ様は、近世帰化人の子孫だい。
 オレは、元々は、佐藤家の生まれだが、旧制中学三年の時、婿養子だった父の実家・岸家の養子になったのさ。(*同家の先祖が、毛利元就の時代、ガン〔=岸〕と称した帰化人だと言われる。)

 このオレ様は、東京帝大では、法律学に専念し、一時期、あの北一輝にもあこがれた。帝大卒後は、優等生でありながら、「鶏口となるも、牛後となる勿れ」とばかり、当時二流と言われた農商務省に入省したのさ。その後、分割された商工省で頭角を現し、戦時中は、東條英機首相の片腕となったんだ。
 オレはまた、満州国では、アヘン密売で稼いだ巨額のカネの力で、多大の人脈を形成したが、敗戦を機に、囚われの身となっちまったのさ。

 3年3ヶ月もの巣鴨プリズン生活だったが、東條たちが処刑された翌日、いわゆる「シオニストの盟約」で、釈放の身となれり。
 児玉や笹川、それに正力同様、このオレ様にとっては、国を売るなど、朝飯前―。何より、命有っての物種さ。アンタらは、殺されてまで、この国を守る気かい?
 それに第一、日本は、オレ様のホントの「祖国」じゃねぇ。オレが、統一教会や創価学会と特に親しかった理由(わけ)が分かるだろう。そうさ、オレたちは、”同胞”なのさ。

 このオレは、人呼んで「昭和の妖怪」さ―。 あの西園寺公望公の跡目を襲名したのさ。晩年のオレ達の姿は、とてもよく似ているだろう。オレ様にとっては、「平成の妖怪」ナカソネなんて、まるで小僧のようなもんだよ。ヤツは、オレより、22歳も、年下なのさ。
 ところで、オレ様は、総理に就任した日(1957年2月25日)の夜、モーニング姿のままで、帝国ホテルに宿泊していたCIAの工作員に挨拶に行ったのさ。
 確か、ヤツの名前は、クライド・マックボイとかいったかな。だが、ヤツは、”伝説の工作員”ではあっても、決して、アメリカ政府の高官じゃなかったぜ。むしろ、無名で下っ端の方が目立たなくて、会って話すのに都合が良かったのさ。
 識者の間では、「権勢の政治家」(原彬久氏評)とか「本物の責任感と国家戦略を持った戦後唯一の総理」(福田和也氏評)などと、ずいぶんとヨイショされるオレ様だが、その実体は、CIAの単なるエージェントなのさ。

 あの頃、オレには、何にも怖いものは無かったぜ。バックには、いつも「アメリカ様」が居たからな。ダレスもウィロビーも、このオレ様の兄貴分で、盟友さ(*前者が8歳年長、後者が4歳年長)。
 確かに、オレは、総選挙の度に、CIAから多額のカネをもらったさ。その見返りに、いつもアメリカ寄りの政策を実行したよ。それも、決して日本のためなんかではなく、常にアメリカ様の指令のままに、アメリカ本位の内政や外交を遂行したのさ。
 それに加えて、「これから、誰が首相の座を占めるのか、また、日本が、今後どのような方向に進むのか」を、逐一、アメリカ様に報告したのさ。無論、国内の主だった政治家たちのスキャンダルや病歴などの個人情報も一緒にな。
 それに、「核持ち込み」密約の件では、弟(=佐藤栄作)の方が有名になっているが、あれは、すでに、このオレ様が、安保条約(1960年1月)の直前に、日米間の密談で合意していたのさ。
 弟は、それを、秘密裡に実行してくれただけさ。その点では、あのライシャワー(*当時の駐日大使)が言った通りだ。そりゃそうだろう。ヤツも、あの密談の場に居合わせたんだから。
 すべては、「アメリカ様の御意のままに」だったのさ。なぜなら、あくまで、アメリカあっての日本だからな。そうだろう? オレは、間違っているかい?

 それに、誰だって、命はほしいよな。だが、命が有るだけでなく、敗戦で挫折したオレの野望を実現するには、日本国民や日本国を裏切ってでも、アメリカ様に従うしか無かったのさ。何せ、オレの時代、アメリカは余りにも強大で、絶対的な権力と軍事力を誇っていたからな―。「寄らば、大樹の陰」というやつさ。
 みんな、オレのことを、そんなに知らね―だろうが、それこそ、戦後日本の天下無双の「売国奴」、岸信介(のぶすけ)とは、このオレ様のこったぁ―。≫

≪さて、その次は、今語りし岸信介の実弟なり。現役総理時代に、オレが付けられたアダ名は、「政界の団十郎」さ。目の大きさだけは、西郷さんや武蔵丸にも負けはせぬ。
 このオレ様は、自民党長期政権の「生みの親」のような存在さ。何故って、政権の最後まで、ずっとアメリカ様に守られていたオレの派閥から、あのタナカもフクダも出たのだからな。
 さて、このオレの生まれは、山口県熊毛郡田布施町―。知る人ぞ知る、日本近代史上最大のミステリアス・スポットさ。
 ところで、このオレ様の自慢は、何といっても、戦後の最長政権(7年と8ヶ月)と沖縄返還、それにノーベル平和賞の受賞さ。沖縄返還の功績が、ノーベル平和賞につながった。
 例の「非核三原則」も、このオレ様の政権時の声明だ。だが、沖縄への「核持ち込み」密約の全責任は、このオレ様にある。たとえ、兄貴から引き継いだ懸案とはいえ、オレが、沖縄県民や日本国民を、完全に裏切っていたことは、まったくの真実さ。
 しかし、このオレも、アメリカ様には楯突けなかった。大人しく言い成りになっていた方が、身のためだったし、第一、楽だったからな。オレ様は、高度成長の時流に乗って、イケイケドンドンと楽な道を歩んだだけさ。オレだけでなく、自民党の連中は、みんな同じさ。

 無論、このオレにだって、頭を悩ます問題は有ったさ。実は、首相のオレ様が特に腐心したのが、1960~70年代の沖縄県での地方選挙さ。
 当時は、アメリカ様にとって、沖縄の在日米軍基地は、ベトナム戦争遂行のために極めて重要だったからな。
 だが、沖縄県内で左翼勢力が支配権を握れば、当然、基地使用が難しくなる。当時、その可能性は、充分あったんだ。そうならないためにも、地方選挙で、自民党が、どうしても勝つ必要性があったのさ。
 しかし、そのためには、是非とも、多額のカネが必要だった。選挙に勝つには、何よりも、まずカネだからね。それを用立ててくれたのが、誰あろう、CIAだったのさ。その大金を、自民党を通して、内々に工面するという段取りさ。その発案者が、あのライシャワーだったのさ。
 あの、虫一匹殺せねーような、良識派面(づら)した親日家の高級外務官僚も、結局、アメリカ帝国の忠実な下僕に過ぎなかったということよ。

 ところで、このオレを知らぬ人でも、還暦を過ぎた人ならば、オレ様の”お別れ会見”には、覚えがあろう。
 そう、あの、新聞記者たちを全員締め出して、テレビだけに切々と訴えた日(1972年6月17日)のことだ。引退会見で涙を流したのは、このオレ様ぐらいかなー。やっぱり、オレ様には、「政界の団十郎」と呼ばれただけの役者魂(?)があったようだ。最近のハトヤマのよりは、はるかに面白かったはずだぜ。

 だが、光があれば影がある。「沖縄密約」の総責任者、それは、このオレさ―。「核持ち込み」と多額の思いやり予算の永続化、その”負担強化”の最高責任者は、このオレ様なのさ。そればかりか、あの「日米核密約」の公文書を自宅に隠し持つなど、オレさまも、ずいぶんと日本国民をナメた真似をしたものよ。だが、大人しい日本国民は、そんな事、まったくの他人事よ―。オレが言うのも変だが、ずいぶんと哀れな国民だよな―。
 ところで、オレの政治行動のすべては、沖縄や日本のためではなく、何よりもアメリカ様のためだったのさ。
 しかし、これが、自民党政治の本質さ―。何故って、自民党政治とは、結局、アメリカ様による日本の”間接統治”に過ぎないからな。オレたち自民党の総理は、あのタンザンさん(石橋湛山)とカクエイ(田中角栄)を除いて、すべて、アメリカ将軍様の、単なる「代官」だったのさ。
 だが、今の管・民主党政権だって、オレら自民党政権とまったく同じじゃねぇかい。そうだろう? ただ、看板が違うだけじゃねぇーか。

 実は、7年8ヶ月の長期政権の間に、この間接統治の”レール”を敷いたのが、オレ様さ。何せ、オレは、鉄道省(現在の国交省)の役人上がりだからな。“レール敷き”なら、このオレ様の十八番(おはこ)なのさ。
 「沖縄密約」の張本人、沖縄県民・日本国民だましの売国奴、佐藤栄作とは、このオレ様のこったぁー。≫ 【つづく】
 

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