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植草一秀氏著『日本の再生』を読んで(2)

 投稿者:渡邉良明メール  投稿日:2011年11月 7日(月)11時01分5秒
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   かつて、「平明之治」を唱えた政治家がいた。「平明の治」とは、”公平で正しく明るい政治”のことをいう。実は、この政治家とは、1800年前の蜀漢の政治家・諸葛亮孔明である。唯、彼の求めた理想政治は古今東西、未だ実現されていないと感じる。

 植草氏も孔明同様、まさに一貫して、”公平で正しく明るい政治・経済”を追求しておられるのではあるまいか。
 多くの方々が感じておられるように、植草氏の持論は、まさに「正論中の正論」だと思う。同氏のお言葉を借りれば、植草氏は、常に「(経済の)基本に忠実にものを考えて」おられる。
 換言すれば、同氏は、常に「経済学の王道」を歩いていらっしゃると思うのだ。

 腹蔵なく言えば、植草氏は、一種の“天才”だと思う。際限なく湧き上がる同氏のアイデアや着想こそ、彼の学問的天才の証(あかし)であろう。また、そのアイデアや着想は、まさに無尽蔵なのである。
 だが、それ以上に、彼のような天才が成す業績の一大特徴は、それが、常に”無私の精神”から発する行為なのだと思うのだ。
 あらゆるものに対する”公平・無私”の精神、そして常に変わらぬ”謙遜さ”こそ、まさに植草氏の真面目(しんめんぼく)だと感じる。
 これらは、今回の新著においても、遺憾なく発揮されている。

 その意味でも、本書の「はじめに」の中の「政治家に求められる最大の資質は無私の精神と徳である」という言葉は、限りなく重いと感じる。
 そして、この言葉は、「民衆に支えられた徳のあるリーダーが日本政治に新しい境地を切り開くことが切望される」と結ばれている。
 これこそ、今、一番、日本に求められる事ではあるまいか。あんな、正統性の全くない、「宗主国アメリカ」しか眼中にない台湾ドジョウ(?)では駄目なのである。
 正直、私は、植草氏の上記の言葉の中に、小沢一郎氏の今後の活躍に対する同氏の期待が、暗に込められているように感じた。

 ところで、本著に関しては、すでに「陽光堂主人の読書日記」さんが、実に秀逸な書評を展開しておられる。
 陽光堂さんご自身、経済にたいへん明るい方だと見受けられる。きっと、それだけのご経験と実績をお持ちなのだろう。本著に対する分析が、とても的確で、その文章に非常に説得力があるのだ。同氏は語る。
 「復興費用は、インフラを中心とした出費ですから、建設国債で賄うべきだという著者の主張は、至極まっとうなものです」と。
 これは、われわれも押さえておきたい重要な点である。

 また、陽光堂さんには、次のような言葉もある。
 「グロス(=全部)の国の借金は、地方分を200兆円としてこれを除くと、約800兆円となります。この中には、資産の裏付けのある建設国債などが約300兆円含まれていますから、問題とすべき赤字国債は、差し引き500兆円となります。・・・
 一方、国の資産は、換金できない固定資産と年金等の運用預託金を除けば、約400兆円もあります。これも考慮に入れれば、正味の借金は100兆円となります。財政破綻とは程遠い状況であることが判ります」と。
 この言葉に素直に納得がゆけば、かつてギリシャと日本の経済状況を同様に論じた菅前首相が、経済に関して、いかに暗愚な人だったかということが判明する。

 この点に関しては、植草氏も、第二章「日本の財政は本当に危機にあるのか」の中の”「日本の財政は危機に直面している」は明らかな嘘”(79頁)で明確、かつ具体的な論を展開しておられる。
 むしろ、2007年時点から2011年時点までの4年間で、日本政府が外貨準備高で50兆円もの損失を生み出したことの方が、はるかに重大である(そのうち、40兆円分は民主党政権、とりわけ今日の野田首相の財務大臣時代に、その直接的な責任がある)。

 陽光堂さんは、本著の第五章「対米隷属の経済政策の脱却」の中の”外貨準備は米国に対する「上納金」”(260頁)にある植草氏の次の言葉に、とりわけ注目している。それには、こうある。(少し長くなるが、重要部分なので、どうかご了承いただきたい。)
 ≪外貨準備資産は日本の資産である。日銀から資産を借りて購入している資産であるから国民資産であり、これを売るのは日本固有の権利である。
 ところが実際には、米国がこれを売ることを許さないとされている。人にお金を借りた人物が、決してその資金を返さない人物である場合、これを貸したとは言わず「あげた」という。あるいは、「だまし取られた」という。東北大震災に対し、米国が日本に来て協力をした際に「トモダチ作戦」と名付けたそうだが、これは、「友達に貸した金は返らない」、という日本の言葉を念頭に入れたものであったのではないか。
 こうなると外貨準備は日本の資産ではなく、米国に対する上納金ということになる。米国政府はもしかすると、米国国債残高から日本が保有した分を消去している可能性がある。つまり日本が購入した分は、日本がその借金を穴埋めしてくれたものと、解釈しているのかもしれない。
 このようなことが許されるはずがない≫と。(262頁)

 これに対して、陽光堂さんは、次のように語る。
 「米国はヤクザ国家ですから、米国債購入は「上納金」や「みかじめ料」と解釈すれば、現状がすっきりと説明されます。米国はデフォルト同然の状態ですから、日本の持っている米国債残高が消されていることは充分考えられます。焼け石に水でしょうが、こうすれば債務の金額を少なく見せることができます」と。まさに、その通りだと思うのだ。

 この陽光堂さんも、本著を「我国が今後生き延びてゆくための指針となるものです。国を憂うる人はもちろん、心ある人たちに読まれるべき良書と言えましょう」と結んでおられる。私も、全く同感だ。
 今日、「日本丸」が荒波に揉まれている最中、今の邪心まみれの船長さんでは、いつかは難破をしよう。だが、そうならないためにも、本著を、われらの”指針として”進んでいくしか、日本の救われる道は無いと思うのだ。
 では、本著は、一体、どのような形で構成されているのだろうか? これについては、次の機会に譲りたい。 【つづく】
 

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