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植草一秀氏著『日本の再生』を読んで(3)

 投稿者:渡邉良明メール  投稿日:2011年11月 8日(火)16時31分12秒
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   本書は、五章から成る。
 第一章の「東日本大震災・東電福島第一原発事故で日本は沈没してしまうのか」と第二章の「日本の財政は本当に危機にあるのか」という根源的な問い掛けが、本著の前半部分を形づくっている。

 そして、第四章の「エネルギーと日本経済の未来」と第五章の「対米隷属の経済政策の脱却」において、まさに”真の日本経済復興プラン(=処方箋)”が提示される。これらが、本著の後半部分である。

 この前後の架け橋となり、かつ今日の日本経済の閉塞と混迷の主因とも言えるものが、第三章で明らかにされる。題して、「市場原理主義の亡霊」である。

 本著において、われわれには、「市場原理主義」と「財政再建原理主義」という、二つの誤った「原理主義」に注目することが求められる。
 各章ごと、まさに熟読玩味すべき好内容だ。とりわけ、各章の各節が、それぞれ優劣をつけ難い。
 しかし、その中でも、特に大事だと思える節に焦点を当てて論じていきたい。

 第一章の中で私が最も注目したいのは、「崩壊してゆく日本経済に追い打ちをかける大増税の愚策」(41頁)と「増税によって経済が危機に陥るという『繰り返される歴史』」(46頁)である。
 これは、本著全体について言えることだが、本書は、植草氏の長年にわたる尊い体験によって裏打ちされている。
 それは、著者自身の次の言葉、「私は、過去二○年間に発生した日本経済における経済の崩壊と、それに連動する金融危機について、そのつど強い警告を発してきた経験を持つ」(47頁)という一言によっても明らかだ。この経験は大きい。
 事実、この間の日本経済の”実態”を知る経済学者として、植草氏の右に出る人物はいないのではあるまいか。
 だが、この間、「(経済の)基本に忠実にものを考える」という同氏のスタンスは、少しも変わらなかったことだろう。

 植草氏には、また、難しい内容を、実に解かり易く喩える豊かな天分もある。
 今回、私は、”政策逆噴射”という言葉に注目したい。同氏は語る。
 「この歴史の事実を踏まえれば、野田佳彦政権は一九九○年代以降、三度目の政策逆噴射による日本経済破壊に一歩、歩を進めたように見える」(48頁)と。
 事実、われわれは今後、このままでは、この植草氏の洞察通りの苦難と困難に直面すると思うのだ。

 因みに、「逆噴射」という言葉について、付言しておきたい。
 周知のごとく、1982年2月9日、日航の片桐機長が、福岡発東京着の日航機を、何と羽田に着陸直前に”逆噴射”させ、24名の死者と149名の負傷者を出した大事件があった。
 この大惨事で亡くなられた方々のことを思うと、まことに胸が痛む。だが、この大惨事をきっかけに、国内では、「逆憤射」という言葉が、一世を風靡した。
 ただ、植草氏は、この「逆噴射」という言葉を、全く純粋な意味で、”現下の状況に少しもそぐわない不適切な対処法によって、全くの逆効果を招く事態”という意味で使っておられると思う。
 あの大惨事で、実際、副操縦士に「機長、止めて下さい!」と言われた片桐氏が”狂気”だったのなら、この不況下で大増税策をとる野田首相も、全くの”狂気”である。同時に、もし野田氏が「TPPへの参加」を表明するなら、これまた”狂気”なのである。
 実際、今日の野田政権によって、三度目の「財政逆噴射不況」があってはならないのだ。
 自ら打ち鳴らした警鐘にも拘わらず、二度も超緊縮財政不況を見せつけられた植草氏にとって、三度までも全く同じ思いをさせられるとは、まことに耐え難いことに違いない。
 しかし、同氏は、自分のことよりも、むしろ今後の国民の生活を心から案ずればこそ、そのような分かり切った天下の大愚策を見過ごすわけにはいかないのだ。

 ところで、より具体的な形で、同氏が国民の前に明示したいことは、「震災後のどさくさまぎれに盛り込まれた『市場原理主義』」(48頁)という事実や、「日本が法治国家であれば、東京電力は破綻処理すべき」(51頁)ということではあるまいか。
 だが、特に後者が蔑ろにされる現実を見る時、植草氏は、「日本は、でたらめな国家に成り下がった」(59頁)と、義憤を禁じ得ないのである。

 とりわけ、彼は、「現在の日本政府には、三つの重大問題がある」(61頁)と断ずる。
 第一は、精神の問題である。
 第二は、政府に困難を打開する能力があるのかどうか、である。
 第三は、この政府に、そもそも正統性があるのかどうか、ということである。
 その点、植草氏が見立てる日本の現状は、国民のために政府が存在し、国民の幸福を政府が追求するという精神が失われ、(現下の政府首脳に、)洞察力、知識、見識、学識という能力の欠如が露呈しているのだ。さらに、現政権の正統性の根拠さえ見出せないのである。

 このように、問題の所在を明らかにした上で、著者は、第二章で、「日本の財政は本当に危機にあるのか」と問い掛ける。
 結論から言えば、すでに陽光堂さんの書評の箇所で言及したように、”「日本の財政は危機に直面している」は明らかな嘘”(79頁)なのである。
 唯、財務省が、この真実を隠蔽し、「同省の利権・権限維持のために財政健全化の主張を展開する」(100頁)のである。

 因みに、この第二章では、財務官僚の傲慢さを語る上で、”ポピュリズムに責任転嫁する”行天豊雄氏(1931~)のインタビュー記事について、植草氏が言及されている。
 行天氏の言葉をじっくりと読みながら、私は、同氏の恐ろしいほどのナイーブさ(=無知)に、それこそ仰天(?)してしまった。
 財務官僚なる人々には、狡猾さと傲慢さ、それに計り知れない程の”無知”が混在していると感じる。
 ”こんな人物(=行天氏)が、かつて、「ミスター・ドル」と呼ばれ、国際金融局長や財務官までやっていたのか!?”というのが、私の至って正直な感想だ。
 実際、特に1980年代から、日本の富がアメリカへ移転した点で、同氏の責任は、限りなく大きいと思う。同氏は、全くマイナスの意味で、われわれが注目すべき人物(=売国奴)だと感じる。
 端的に言って、行天氏は、日本の財政や金融政策面で、植草氏と全く対極的な財務官僚ではなかったかと思うのだ。

 ところで、本章で植草氏が力説したいことは、次の二点だと思う。
 つまり、「日本経済浮上のチャンスを二度も潰した近視眼的な財政再建原理主義」(126頁)と「的確な『経済病状診断』がなされていない恐ろしさ」(131頁)ということである。
 この二点が、「経済情勢暗転下での超緊縮財政政策発動は究極の誤り」(134頁)という、著者の常に変わらぬ確信へと繋がるのである。

 実は、本章の「日本財政の何が問題で、何が問題でないのか」(140頁)の中で、植草氏は、明確な真実を明らかにする。それらは、次の諸点である。
 つまり、「財政危機には直面していない日本財政」(141頁)
 「国債依存度50%の財政バランスは改善が必要」(142頁)
 「近視眼的財政再建原理主義政策は百害あって一利なし」(143頁)
 「経済を回復させ、その上で財政収支の改善を図るのが王道」(144頁)
 それに、「財政再建論議が進展しない最大の原因は天下り利権の死守にある」(145頁)などである。
 これらの諸点は、われわれも深く銘記しておくべきことだと思うのだ。

 では、本著の後半部分は、一体どのような内容なのだろうか? 【つづく】


 
 

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